エハラ・カツヒコ/建築や都市 |
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建築や都市について/思考は場所を選びません
建築が好きです。生まれつきでなく、古典と幾何形体からのルートでした。
思考は場所を選びません。集落や都市という概念も、ひとつの世界観です。
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『遊びと人間』
著者:ロジェ・カイヨワ Roger Caillois
出版社:光文社 1958年(昭和33年)
カイヨワの著書は多く、本書はその中でも最も良く知られたものである。遊びについての研究はフリードリヒ・フォン・シラーが初めて、遊びが文化史にとって極めて重要であることを示した。工業化への移行がはじまった時期でもある。以降、カール・グロース、ジャン・ピアジェ、ジャン・シャトー、ヨハン・ホイジンガ、フォン・ノイマンを経て研究領域は、遊びの定義から、種類、文化史、教育学、ゲーム理論と経済行動にまで広がる。
カイヨワはホイジンガの遊びの文化的創造力に則しつつも、遊びを幾何学的論理として、4つのカテゴリー、2つの態度に解体し、事例とともにそれらの特徴、組合せ、変移、逸脱などをとおし、遊びと人間生活との密接な関係性を解き明かす。遊びはそれを構成する道具やルールなどから形式として成立してはいるが、それを楽しむという不確定な要素を抜きにしては、遊びそのものが存続出来ない。遊びも都市と同じく全体的な現象である。□
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『七福招来の建築術』
著者:毛綱毅曠
出版社:光文社(カッパ・サイエンス)
神殿建築・知的建築・視覚的建築・成金建築・放擲型建築。一見、体裁スキだらけのにもみえるお気楽な本なのだが、それぞれの玉に関する建築の論証はじつに巧妙である。タイトルの七つの福とは建築することあるいは建築に関わることで招き寄せられるところの富・情報・文化・学芸・健康・食・技術そういった効果によるもたらされるもの。建築は本来楽しくてたまらないもののはずなのだが。
著書は昭和の終わり毛綱さんがいた時代、建築は今より良くも悪くも楽観的で元気で、ある程度のモノも許容さ れうる幅というものがあった。とりつきやすい本であるからか、いつのまにか毛綱さん流の建築のツボに引込ま れてしまう。建築は楽しいもの、一読すればそれなりのシンパシィを持ってしまう。なぜか。本来の建築の姿は 無垢で、有形無形全ての事象を形でつなぐ程の世界観にも建築は到達しうると生きた氏に共感するからである。□
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『極4建築美』 1988年(昭和63年)4月
著者:「極」編集同人(渡辺豊和、平山明義ほか)
出版社:極編集同人
建築家とよぶに足る人間がまだ少し残っていた時代ではある。1988年編集の関西発の思潮誌。今から20年前なので、今とかなり異なる内容だろうと思ったが、さほどの変化は見られない。ただし個々の評論における建築のとらえ方にはメリハリと強さがある。そういった時期だったのかもしれないが、未知の領域への期待といったようなものがまだ建築に残っている。編集された個々の表現や評論は当然まちまちであるが全体として当時の思潮の一端、建築以外の分野にも通じる多面性を帯びている。
アマチュアリズムが思潮としてのプロフェッションにはっきりした力で拮抗していた時代。80年代はじめ頃まで、建築家という語彙には哲学や生き様すらも多義的に見え隠れしていた。恵まれた脳天気な時代といった側面もあるかもしれない。しかし文学や哲学にも通じる回路が明らかに建築に開かれていた。以降バブルその終焉を経、現在。制度やプロフェッションの定義に納まる事のみ、建築家という語彙が意味するところでもなかろう。□
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『光と風と構造』 建築デザインと構造のミステリー
著者:ロバート・マーク 飯田喜四郎 訳
出版社:鹿島出版会 SDライブラリー 1991年7月発行
著名建築の幾つかは純構造的という名のもとに視覚効果を最優先させ構造的配慮を欠き建築的不具合を招いた。著者ロバート・マークは構造合理主義、建築成立そのものでもある技術的理由、構造に力点をおきつつも、建築と構造の強引な整合は避けるべきであるとする。本書は複雑な構造物の応力解析などに用いる現代の工学的方法を平易に紹介し、古代から近代までの石造天井を架けた大建造物の典型例、技術的系譜をまとめたものである。
主として個人で創られる文学や絵画と異なり、建築は作者の自意識を遥かに超えた規範、制度や技術、経済性に
依存する。その中で建築を端的に決定づけるものとして構造があるが建築と構造との関わり方は様々である。著
者は構造合理主義を重視するが様式の中の性能的実証に基づく技術面もおろそかにしない。オペラハウスは当初
予算の十数倍かかったが、隠れた鋼製トラスで軽量化を図ればコスト性のみならず基礎変更の必要もなかった。
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『風土』 人間学的考察
著者:和辻哲郎
出版社:岩波文庫 1943年(昭和18年)、内シナ章1935年
人間を個体として取り扱う人類学、その他面にある社会性のみを対象とする社会学に対し、和辻は個人および社会の有機的二重構造でもある、空間としての風土を軸に、歴史性、文化性、風景などに出現される人間の本質と風土との緊密な関係性そのものを明らかにしようとする。三つの類型としてモンスーン型・沙漠型・牧場型をあげ、気候・気象・地味・地形ごと、外に出てその時の風土と交わった和辻そのものの体観が言葉となっている。
風土は地球上のそれぞれの土地に固有でただ一つの特性である。事物的風土とそれを感受する人との間柄が、和辻の説く風土であろうと思う。風土は持続的に人の精神や活動に働き、また漸次影響をも受ける。和辻は、風土からある民族の精神特性を結論することでなく、難しいのであるが、満足とはいえない当時の情報、事情の中で、具体的で生きたままの姿において当時現在の風土を、生ける有機力の契機として捕らえようとする。□
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『笑う住宅』
著者:石山修武 1986年(昭和61年)
出版社:筑摩書房
昭和61年、日本経済バブル始まりの頃の著書である。一見ユーモラスな本の題名とは裏腹に急激にモデルハウス化する住宅文化の危うさを指摘する。戦後荒廃の中からの質も含めた住宅供給においては、在来技術のみならず、工業生産と性能が一つとなったミゼットハウス等に代表されるローコスト型量産住宅に負う処も大きかった。しかし安定成長期を迎え低価格性能型にかわりイメージを盛り込んだメディア連携の商品化住宅が繚乱する。
古来から有る大工や職人の住宅文化への寄与、建築する事への発注者の自覚の重要性が説いてある。工業化された住宅も合理的生産性と価格が結びついていれば良いが実際はそうではない。本書は20年前のものだが、建築家自身がマーケットを持たずマーケットを持つ産業が建築家をチョイスする、痛切な指摘は、現在の建築家およびそれを取巻く通念にそのまま当てはまる。需給が健全だった頃は伝統技術もミゼットハウスと混住していた。□
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『日本の民家』
著者:今和次郎 1922年(大正11年)、その後追記昭和29年新版
出版社:相模書房
大正11年初版。民家と云うと現在もはや一般的家屋ではないのだが、当時においての民家とは生活含めた田舎の人達の家、土地柄や規範の現れとしての日用的建築であるとの認識があった。一方で建築前線の大正はこれまでの歴史主義から新感覚的なモダンデザインへと移行する時代でもあった。本書は民家採集と解読を主とするが、都会と農村間の郊外形成にかかる問題や近代建築のみで捉えきれない民家の成立も分かりやすく説いてある。
書かれた時代は80年前、現代に比べ都会と田舎との交通利便は一般に悪く、いわんや情報はほとんど閉じられたに等しい時期である。しかしその地域ごとの風景や文化、日用の営みはそれぞれの存在意義と共に住家にナチュラルに写し出されている。著者の美意識とは無形の人の暮らしと自然と有形の建築との間をつなぐ必然性の理解、発見の快さに基づいている。メディアと直結しただけの流行思考は本書の視点からはまさに欺瞞であろう。□
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『やすらぎの住居学』 100の発想
著者:清家清 1984年(昭和59年)7月
出版社:情報センター出版局
おそらく初めて住宅を建てようとする時いきあたるであろう疑問や迷いに対し、清家さん流の住宅観や付き合い方について分かりやすく説いている。ほんの数十年の間にもエネルギー観や社会経済の仕組みすら大きく変化することがある。その変化によっては道具・家具什器、ひいては建築物のあり様すらも変容する。しかしながら住まいにおいては建築物や家具什器などのモノの問題は本来副次的な問題で、最も重要なのは家族の生活である。
本中に清家さん自身のイラストが少しある。筆圧と描線の動きすら見える定規に線のものや見る側の情操を引き出すフリーハンドのカットなど。現在、CADによる作図・CGによる描画が普及し、出力される像も量産しやすい均質で消費される情報・消耗品としてのイメージの観がある。本文ふくめ清家さんのイラストに惹かれるのは、建物そのものよりも家族の生活観それが優位にあるからである。体験として身近な住まい観が中心にある。□
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『僕は、時計職人のように』
著者:高松伸 1987年(昭和62年)6月
出版社:住まいの図書館出版局
高松伸の言葉抄とドローイング、25年前の発行。言葉とは建築を修飾し磨き上げまたは評価するといった一般の付加的役割のみでなく、普段建築をつくる時点で直接的に建築形成に働きかけている側面を持つ。建築へのモチベーションの質が建築の形態そのものについての事業主体側の理解や合意形成においても言葉は影響力を有する。本書の言葉は著者の建築に向かう思考技術でもあるが生き生きと建築すること=言葉そのものの質といえる。
高松さんには極めて初期の頃お世話になった。建築や思想について何も学び取ることない箸にも棒にも掛からぬ学生で、今に思えば何ともったいない時間を過ごしたものだと後悔している。高松さんとは田んぼで蛙を昼飯のそうめんの具に捕獲しようとしたこと、アメフトのボールでキャッチボールをしたこと、豪雨のとき半地下事務所の水漏れと徹夜で苦戦したこと等が想い出としてある。それ故に硬質な本書の文体ですら、それらの景色が柔らかくしてくれている。□
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『漢字と建築』
著者:磯崎新+岡崎乾二郎 監修 2003年 平成15年3月
出版社:INAX出版
サブタイトル、ヴェネツィア・ヴィエンナーレ第8回建築展をめぐって。2002年ヴェネツィア・ビエンナーレの鼎談を軸として、漢字と建築をテーマに9つの論考が編まれている。いったい漢字と建築はどこで結びつくのか。文字の成立はヒトが二足歩行して劇的に獲得した諸能力に始まる。認識能力・調音器官・聴覚能力により声音・言語が生まれ、強力な社会的機能・見えないものへの観念が現れる。古来から建築は装飾や形態で意味性を帯びることが知られ、建築のメタファーは人の身体としても語られた。
ヨーロッパでは17世紀、音声から解放された普遍言語への幻想の対岸に意味を脱した建築への傾きがあった。文字は音声と異なりモノとしての持続力が強い。一瞬にして消える声とちがい記された紙、鉄、ダイヤモンドはその生命のあるかぎり生き残る。成立から文字でも漢字でもない建築の意味性が生の時間・空間の次元に妥協し日常の事物の中へ風景として溶融するに比べ文字はすでに生命の失われた生身の身体の声さえも再現してきた。□
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